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小学校の教師をやっています。

お祓いで有名な神社の特徴と明治時代の合祀の影響


こんにちは。私は小学校の教師、真理子です。
今回はお祓いで有名な神社の特徴と明治時代に国により行われた合祀の影響について語りたいと思います。

ご存じのとおり日本には多数の神社がありますが、あまりにも多数の神社があるため、どこの神社に参拝すればいいか悩む方も多いと思います。

ですが、お祓いに関しては、比較的大きな神社を選ぶことになります。

なぜなら、小さい神社はそもそも、近くの比較的大きな神社の神主が、神事の時だけ来るようになっており。かけもちで運営されているため、常駐の神主がいません。

つまりお祓いをすることができないため、必然的に常駐の神主がいる大きな神社を選ぶことになるのです。

いまも全国に無数の神社がありますが、実は明治時代ころまでは全国各地に現在の倍程度の神社がありました、しかし明治39年(1906年)の第1次西園寺内閣により、出された勅令によって神社合祀が進められ、第2次桂内閣により強固に推し進めることを厳命したため、大正3年(1914年)までに全国で約20万社あった神社の7万社が取り壊されました。

参考:神社合祀 - Wikipedia

20万社といえば結構な数で、だいたい美容室(令和3年で26万件)より少し少ないくらいの神社があったといえば、わかりやすいかもしれません。

神社合祀が行われた背景は、神社の数を減らし残った神社に経費を集中させることで、一定水準以上の設備や財産を供えさせ、神社の威厳を保たせ、神社の継続的な経営を確立させることにありました。

現代でも行われる選択と集中ですね。

お祓いで有名な神社の特徴としては大きな神社である。それは神主がいないと、お祓いができないからで、神主がいる神社は比較的大きな神社であるからです。

つまり明治時代の合祀政策の際に、十分に生き残るだけの大きさがあった神社であることになります。

[都道府県別] 除霊やお祓いで有名な神社とお寺と選び方によると、お祓いは地域の一宮であればまちがいはないそうです

お祓いする神社やお寺のえらびかた神社には『社格(しゃかく)』というランキングのようなものがあります。その地域のなかでいちばん社格が高い神社を『一宮(いちのみや)』とよび、お祓いは地域の一宮であればまちがいはありません。
(引用元:[都道府県別] 除霊やお祓いで有名な神社とお寺と選び方

お祓いしたい方は引用元のリンク元を確認してみてください。都道府県別オススメ神社と、お祓いの料金、申し込みの仕方などが詳しく掲載されています。

さてこの合祀政策については、反対もあり反対集会などを開くこともありましたが、それほど大きな運動もできず、合祀により祟りを起こしたなどと語る形でしか不満を示すことはできなかったそうです。

合祀による祟りに関しては佐藤ひろみの『神社祭祀にみる祈りのかたち: 越谷のオビシャ・神饌・祓いの伝統行事を通して』と華園聰麿の『明治期における神社の廃合の経過と影響―中国地方一山村における事例研究―』が興味深かったです。

当地の氏子の生活や健康は、他の地に較べると豊かであったが、明治 45 年の合祀政策によって村社の浅間神社に合祀されることとなった。ところが合祀の後は、氏子の間には夭折する婦人や経済的にも悲運に見舞われる家が多くなり、その後、浅間神社も火災を起こして全焼、当社のご神体も台座だけが残るという状況であった。そこで、氏子一同が協議の末、白鳥家の杉林や芋畑であった旧社地に仮の社を造って、浅間神社から焼け残ったご神体の台座を奉遷、神社は再建されて氏子の生活も合祀前の状態に戻ったという。(引用元:佐藤ひろみ, et al. 神社祭祀にみる祈りのかたち: 越谷のオビシャ・神饌・祓いの伝統行事を通して. 生活科学研究, 2012, 34: 159-168.


多根村萱野の熊野神社は、萱野地区・舟津地区それに中多根地区の約四十戸の鎮守として祀られていたが、星原神社に合祀されたあと、この地区の人々は非公式に出雲大社より分霊を請けて「杵築社」を建て、毎年十一月二三日には星原神社より神官を招いて祭礼を営んだが、格別の行政措置はなかったという。もちろん十一月三日(昭和六年からは十一月五日)の星原神社の祭礼にも、旧熊野神社氏子として奉仕してきたというから、一種の二重信仰を持っていたことになる。なおこの合祀のあとその勧奨者が急死し、人々はその原因を合祀の祟りだと噂したとも言われている(引用元:華園聰麿. 明治期における神社の廃合の経過と影響―中国地方一山村における事例研究―. 1981. PhD Thesis. Tohoku University.

この祟りがたまたま偶然の結果なのか、実際に祟りなのか、検証することはできません。
しかしながら、民衆の一部は、この神社の合祀政策により恐怖を感じていたことは間違いないでしょう。

ちなみに合祀政策は博物学者で民俗学者である南方熊楠ら知識人による反対運動により、収束されることになります。
南方は、合祀によって
①敬神思想を弱める、
②民の和融を妨げる、
③地方を衰微する、
④民の慰安を奪い、人情を薄くし、風俗を害する、
⑤愛国心を損なう、
⑥土地の治安と利益に大害がある、
⑦史跡と古伝を滅却する、
⑧天然風景と天然記念物を亡滅すると
批判しました。

以上お祓いで有名な神社の特徴と明治時代の合祀の影響でした。

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